宮崎県編

2005年11月27日(日)
 福島今町駅(串間市)〜 南郷駅(南郷町) (約25キロ)

 6時50分福島今町駅出発。気温11度さすが宮崎、早朝からこの気温、快晴。
 220号線を日南方面へ北上。このあたりから海とはお別れし、山手の方に入って行く。
 串間市街をすぎたあたりから、左足アキレス腱が急に痛みだした。警察署前のベンチで休憩し、今まで一度も使ったことのなかった、テーピングテープで腱が伸びないように、足裏から足首にかけて何本かテーピングしてみた。歩いてみると、少しつっぱった感はあるもののかなり楽になり、痛みもほとんど感じなくなった。初めてテーピングの効果を体感した。少しずつ山手の方に入っていった。北方(きたかた)駅、大束(おおつか)駅を通過し、奈留地区に入ったところで、ポツリと雨が落ちてきた。まさか、今日は、降水確率0%。降るはずないと、雨対策は何もしていない。空を見ると西の方が真っ暗。と思った途端、雷が一発!と同時にドカっと降り出した。どこかに避難するにも、まったくの山の中で、軒下を借りれる民家や、建造物など何もない。とりあえず、道端のやぶの中に飛び込んで、茂みに腰をおろした。細い木の根元にもたれてしばらくボーっと座っていた。こんな藪の中に潜んでいる光景はあまりにも怪しすぎる。でも道路を走る車からは、見えないようなので一応安心ではある。しばらく雨はあがりそうにない。時間のロスが気になるとはいえ、この雨の中を歩く気にはならない。ますます雨が強くなってきた、もはや、木の枝や葉っぱの傘では厳しい状態になってきて、雨だれがボトボトと落ちてきた。とっさにカバンからタオルを取出し頭にかぶった。広島に“全国タオリスト協会”という、タオルでほっかむりをする愛好家の団体があるらしいなどと、思いつつ。結果、頭が濡れないだけで、身体全体が濡れてないような、素敵な錯覚を覚えることができた。ますます怪しい不陰気になった自分になぜか、少々快感をおぼえながら、ついでに朝コンビニで買っておいたジャムパンをかじってみた。我ながらすごく変。と思ったその時、突然、藪の前の歩道に人が現れ、こちらに気づき、唖然とした表情で一瞬たちどまった。しまった!と思いながらも、ニヤリとわらうと、戸惑いの表情でしかも、少し怯えた声で「こんにちはぁ〜」とだけ言って、足早に去っていった。おばちゃんだった。しかし、おばちゃんも傘もささず、こんな山中をどこに行くのだろうか。
 1時間ほどして、西の空が少しずつ明るくなってきた。藪から出てみると、すっかり雨は上がっていた。ロス時間を取戻すがごとく、坂道をもくもくと登った。民家も店も自動販売機もない道を進んだ。4キロほどで小さな集落の中にある榎原(よはら)駅に着いた。正午前だった。帰りの列車の時間を確認し、今日のゴールを二つ先の駅、南郷駅に定めた。こらから約8キロ、13時56分南郷発の列車に間に合わせるには、結構急がなければいけない。さらに早足で、12時40分、谷之口(たにのくち)駅通過。あと3キロを1時間強で歩けばいい。少しペースを落とした。このあたり、いやになるくらい直線道路が続く。しだいに小さな市街地にはいってきた。南郷町だ。13時30分南郷駅着。
 久しぶりの有人駅。切符販売は列車到着の10分前からと貼紙がしてある。ベンチに腰掛けて、時間を待つ。駅員は女性一人。なんか、古いけど、花がかざってあったり、こざっぱりしていて、駅員のおばちゃんの心くばりがヨークつたわってくる。非常に感じのいい駅だった。今回はここまで。宮崎まで、あと61キロ。次回射程内に納めた。


福島川河口の朝陽

串間市街地

日向大束駅

雨宿りの藪の中

榎原駅

南郷駅
2006年11月4日(土)
 南郷駅(南郷町)〜伊比井駅(日南市) (約33キロ)

 1年ぶりに歩いた。この九州一周を始めたのが平成6年「戌年」。そして今年また「戌年」。12年目に入った。今回は、東周りで歩いている「かえる・ともぞう」両氏との合流となる。両氏の動きは、両氏のホームページ・ブログで確認のこと。
 前回のゴール南郷駅。「西武ライオンズ歓迎」の横断幕が掲げてある。ちょうどキャンプ中らしい。7時40分出発。晴天。寒さは感じない。日南市方面に向かう。国道沿いの商店や住宅の道路沿いに、紅白の縞模様の棒をずらりと設置している。なにをやっているのかおじさんに聞いてみたら。明日霧島神社の祭りでおみこしが通るのでその準備をしていると教えてくれた。
 9時前、11月というのに日南の陽射しは衰えてない。上着を脱いでTシャツになる。
 日南市油津へ入った。港は休日だからだろうか、あまり船の出入りもなく、思ったほど賑やかさはない。町並みもなにかシットリした落ちつた雰囲気でなかなかいい。国道220号線沿いには時代を感じる建物をいくつか発見。中でも杉村金物店はそこだけ時間が止まったかのような錯覚に陥ってしまう。昭和初期の建築らしい。
 そんな町並みを抜け、3キロほど歩いた風田地区あたりから、いよいよ日南海岸の絶景ロードに入る。しばらく海に見とれながら、というか波に見とれながら歩いた。さすが日南の波、いつも見る玄界灘の波とはスケールが違う。沖の方から、ゆっくりと盛り上がりながらやってきて、わりあい海岸から遠い場所から波が崩れだし、白とエメラルドグリーンの崩波が、海岸まで時間をかけて移動する。実に美しい。サーファーもいる。うまく乗れるか見守りながら歩いた。またこのあたりから、俗にいう「鬼の洗濯板」状の海岸がいたるところに点在している。洗濯板は青島だけでないんです。
 そんな空きの来ない風景を堪能しながら歩くこと2時間、昼過ぎに鵜戸神宮に到着。参道の石段を登って、小さなトンネルをくぐれば、そこは絶景境内。岸壁の洞窟に朱塗りの本殿が美しい。素焼きの運玉を崖から大岩の上の小さな穴に投げ入れ見事入れば願い事が叶うという運試しに挑戦した。いろいろ願いたい事はあったが、なぜかうまく穴に入ることを願ってしまったような・・・。
5回投げ結果は0でした。しばらく休憩して、境内の案内板から裏道より国道へ抜けられると独自に解釈し、山道を前進したが、途中で恐ろしいほどの山中に迷い込み、結果引き返し大幅に時間と体力をロスした。しかし山中では「あけび」を食することができた。境内にもどった時、神職の人がいたので、この道は国道へ行けないのか?と聞くと、あっさり「行けません」と言われた。あの紛らわしい案内板に腹が立った。結果、また来た参道を戻ることに。小さなトンネル入り口付近で、かえる氏より先行して歩いているともぞう氏と合流。ここでまずともぞう氏との九州一周の輪が完成。トンネルをバックに記念撮影した。ともぞう氏から、これより先のがけ崩れ情報を収集。こちらも、これから彼が歩く道のりのコンビニ情報を報告し、再び分かれてそれぞれの今日の目標地点へ向かった。
 鵜戸神宮で2時間ばかり時間をロスしてしまい、今日の目標地点「伊比井駅」達成が危ぶくなってきた。あと11キロ、今のペースだと3時間弱はかかる。
JRに間に合わない。とりあえずペースを上げて歩いた。幸い今日の足は調子よく、そんなに痛まない。3時過ぎ、遠くからハワイアンの音楽が聞こえてきた。サンメッセ日南である。モアイ象があるらしいが、時間がないので見学はやめ、近くの最愛(もあい)茶屋でたこ焼き休憩を取った。アロハのおばちゃんから、歩いてきたことにいたく感動され「あなたTVに出てなかった?」と聞かれた。(TVには出てません)。
 5時、なんとか伊比井駅に到着。今回はかえる・ともぞう氏との合流ということで、職場で組織された合流式実行委員が同行しおり、あたりの観光を終え、ホテルに向かう彼らと伊比井駅前で奇跡的に会い、車に同乗させてもらいホテルへ帰りつくことができた。夜は郷土料理(宮崎牛とひや汁)で宴会だったが疲れで、早々にホテルへ引き上げ寝た。他のメンバーは二次会へと向かった。


南郷町 祭りの準備

油津港

杉村金物店

鵜戸神宮

鵜戸神宮本殿

最愛(もあい)茶屋のおばちゃん

伊比井駅 到着
2006年11月5日(日)
 伊比井駅(日南市)〜青島(宮崎市) (約12キロ)

 9時半、伊比井駅出発。今日も暑い。すぐにTシャツになる。今日は青島でかえる・ともぞう氏との合流となる。(ともぞう氏は合流式にあわせて宮崎駅〜青島間を残しており、今回かえる氏と共に青島に向かう)ちょうど同じ時間に青島に着くように計算して歩くことに。彼らは宮崎駅から17キロ、私は伊比井駅から12キロ、5キロの差は約1時間ちょっとなので、かなりペースを落として歩いた。絶景ロードはまだ続き、途中コンビニで缶ビールとおつまみを購入し、内海地区あたりの防波堤で一息入れた。国道をはずれ少し海沿いを歩いた、気持ちいい。海水浴してる老夫婦もいる。11月である。さすが日南である。しかしやはりそれなりに寒いのであろう、体を硬くして、耐えながら入水する様子が目に焼きついた。
 堀切峠が近づくと少しずつ上り坂になるが、さほど疲れる坂ではない。峠の途中の道の駅に立ち寄った。観光バスが数台来ていて、結構ごったがえしていたのでソフトクリームを食べ早々に出発した。峠を登りきったところでは、職場の合流式実行委員が、これから青島で行われる合流式に先駆け、記録の写真ビデオを持って待ち構えていた。なんかチョット小恥ずかしい。おそらく、12年間、宮崎まで歩いて来て、自分が歩いている姿が写真におさまったのはこれが最初だと思う。この時点で12時をまわっていた。かえる・ともぞう班も順調に青島に近づいているとのことだし、少しペースを上げなければ逆に到着が遅れてしまう。峠を一気に下れば、すぐに青島の看板が見えてきた。青島に来るのは、中学校の修学旅行以来、約30年ぶりである。当時の記憶は全くないので、見る景色は新鮮だった。青島駅を過ぎ、右折すれば青島神社の参道になる。短い参道だが、観光客相手の商店が並ぶ。パイナップルの串刺しのようなものがあちこちで売られており、疲れた体がそれを欲したが、とりあえず急ぐのでがまんした。参道を抜けると砂浜があり、そこが合流地点とのことで実行委員会から指示がでていたので、あたりを探すとなんと、かえる・ともぞう班に先を越されてしまっていた。「うさぎとかめ」だと、ともぞう氏の指摘を受け、なるほど油断していたと思った。
 合流セレモニーは、実行委員会がつくってくれた、九州一週のパネル合体ではじまった。おたがい歩いたルートと年が書き込まれていて、3分割になっており、3枚合わせて九州の形になるというかなり手の凝ったもの。それから、クモの糸状の紙テープを投げつけられ。クス球まで用意されており、周りの観光客からは何事かと思われたことでしょう。しかし、本当に、こんなにまでして祝ってくれた実行委員会の方々には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。そして、かえる・ともぞう両氏には、またこれから離れ離れとなりますが、お互いゴールするまでがんばりましょう。


日南海岸の絶景

気持ちいい海岸道路

合流地点の青島

合流の握手

九州一周合流パネル
2007年3月31日(土)
青島(宮崎市)〜佐土原駅(宮崎市) (約30キロ)

 午前6時、かえる氏と共に青島駅を出発した。国道へ出て、かえる氏は南に私は北に向かった。
 気温は低くなく、すがすがしい朝。青島付近の海岸に出てよく整備された歩行者・自転車専用道路を歩く。ちょうど青島の背後から朝陽が昇る。近くのホテルの宿泊者で朝の散歩を楽しむ人や早起きランナーたちとすれ違う、みんな「おはようございます」と声を掛けてくれた。南国の自然は人の心を開放してくれるものだとつくずく関心した。
 この整備された歩道はこどもの国のすぐ裏を通り、県立運動公園まで続く。この歩道からこどもの国内部がきれいに見渡せる。まだ開園前で閑散としているが、ちょうどフラワーフェスティバルの催し期間中で、色鮮やかな花がたくさん咲いていた。子どものころここに来た記憶が蘇ったような気がした。かれこれ40年近く前のことだが・・・。
 運動公園を通りぬけ国道220号線に出ると、すぐにジョイフル発見。朝、列車の中でおにぎりをたべたが、トイレも借りなければならなかったので、入店。二度目の朝食をとった。
 元気が出たところで、さらに北上した。国道は交通量が多そうなので、日南線沿いに国道を離れ、木花地区方面へ歩いた。途中、サーフボードを小脇に抱えて自転車で海に向かう小学生とすれ違った。さすが宮崎。子どももカッコイイ。宮崎空港にさしかかる。飛行機は数機みえるが、この付近を通過する1時間はどの間、ほとんど離着陸がなかった。
 空港を過ぎ大淀川にかかる小戸之橋を渡る。さすがに大きな川。長い橋。おそらくここまで歩いて来て、この橋が今まで最長かもしれない。500〜600メートルはありそうだ。屋形船も停泊している。
 橋を渡ると突然都会になる。とりあえず、宮崎駅方面へ、小さな運河が流れる公園道路を通って宮崎駅に着いた。ちょうど10時を少し回ったところで、やっと店が開きだしたところだった。
 ちょっと休憩をしたいところだったが、宮崎駅構内はあまり休憩する椅子がない。満席なので、そのまま通過して北上した。
 気温は20度近くまで上がっているようで、陽射しは強くないが、汗が出てくる。国道10号線に出て日向方面へ歩いた。門司から300数十キロの表示のポールがあった。ここからまたこのポールを頼りに、100メートルづつカウントダウンしながら門司までの10号線を北上することになると思うと、ちょっと気が遠くなった。
 国道は意外と交通量が多いので、裏道を歩くことにした。こちらの方がJR沿いになって都合がいい。日豊本線蓮ヶ池駅方面へ、このあたりは、自動車のディラー通りだ。トヨタ、日産はじめ、無いメーカーはないし、さらに外国車のディラーも勢ぞろいだ。クライスラー、ボルボ、ワーゲン、フォード、BM他にもあったかもしれない。それが、200〜300mの間に密集しているから驚きだ。外車には関心ないが関心しながら歩いた。
 地図を見ると、この先「宮崎大牧場」とある。どんなに大きな牧場かと期待して行っていると、宮崎大学の牧場だった。牛も馬もヤギも羊も人間も誰もいない。しかも、柵ですべて囲まれていて、一歩も中にはいれない。しかし、青々とした牧草はなかなかよかった。
 このあたりでそろそろ、昼を回り、昼食タイムとしたいところだが、店がない。やっと見つけた、うどん屋に入る。店構えはなかなかだが、店内は至って普通。大きな6人がけのテーブル2個に畳のスペース。2〜3組のお客がいた。自分は大きなテーブルを独り占めした。注文したのは「きつねうどん」。味は・・・。自分のお口には合わない。このスープのだしは、いったいなんなのか?カツオとかコンブ+何かが入っている。なにか、生臭ささえ感じる。海のものだとは思うが、まさかとんこつではないだろう。
 というわけで、必死に食べたが、ついに完食ならず。
 しかし、これは、まずいのではなく、ご当地の味だと思う。なぜなら、隣で食べていた、夫婦は、しきりに、うまかうまかを連発していたし、さらに、おやじが、妻に、もちかえりの分までねだっていたか驚いた。
 というわけで、うんざりした、胃袋を抱えまた、歩いた。
 再び10号線に出て、日向住吉駅通過。5キロ弱歩いて、佐土原駅に到着。本日はここまでとした。


青島から昇る朝陽

青島付近の海岸の道

開園前の「こどもの国」

大淀川の屋形船

宮崎駅

花で整備された道路

佐土原駅
2008年1月12日(土)
佐土原駅(宮崎市)〜津農駅(児湯郡津農町) (約30キロ)
 博多から出る「にちりん」に乗って午前6時15分、佐土原駅に着いた。まだ外は暗い。今日の予報は雨。この時間でも気温はすでに10度前後はありそうな感じ。今回はアメリカの友人マーティー氏と歩く。10号線を北上。マーティーは早速写真撮影、店の壁面に設置されたLEDのデジタル時計、エメラルドの色がナイスだとか。マーティーは好奇心旺盛で、撮る写真も面白い。一ツ瀬川を渡るころ、やっとあたりが明るくなってきたと同時に雨が降ってきた。雨の覚悟はしていたので、さほどがっかりはしなかった。新富町のジョイフルで雨宿りを兼ねて朝食をとった。私はいつものAモーニング、マーティーは和定食で卵か納豆の選択で納豆を選んだ。食事を終えて外に出ると雨はあがり、陽が射していた。ついでに大きな虹も出ていた。これから今日一日雨に降られることもなく快適な季候の中歩くことになる。天気予報はいい具合に外れた。10号線をしばらく歩いていると、ガソリンスタンドで給油中の宮崎工業高校サッカー部(だったと思う)のマイクロバスから「乗って行け」と誘われた。が当然断った。さらにしばらく北上すると、国道沿いの小さな小屋で、竹細工が売っていた、ざる、籠、箸などなど。傍らで作業している職人さんと少し話しをして、マーティーは蒸篭の底に敷く竹のすのこを買った。おそらく鍋敷きに使うつもりだと思う。
 高鍋町に入ったところで、マーティーがコンビニへ寄りたいというので寄った。彼が買ったのはシェービングクリームで、これを足の裏(主に指先)に塗るという。靴との摩擦が減って豆が出来にくいそうだ。小丸川(おまる川)を渡ってしばらく10号線を北上したところで、県道302号線に入り海沿いを目指した。302号線に入ってすぐはしばらく上り坂が続く。登りきると広大な丘の上は田園地帯が広がる。所々でお茶、白菜、大根など栽培されている。お茶好きなマーティーとお茶の葉をちぎってかじりながら歩いた。ただの草の味?。爽やかな風が吹いてとても気持ちいい。マーティーは話好きで、歩いている間もずっとしゃべり続ける。話題豊富だが、なにしろ英語。その上アメリカンジョーク連発で落ちを理解するのも苦労する。必死に彼の話に耳を傾けながら歩いたので、奇跡的なほど足に疲れは感じなかった。しばらく行くと県道は港の方へ下って行き川南港へ出る。小さな集落の漁村だが風情がある。2時を回っていたが、昼食を食べてなかった。レストランやコンビニさえこの先なさそうな予感。集落へ入っていくと。小さなストアがあったので食事できるところを尋ねたところ、おばちゃんは「あさしお」という店を教えてくれた。場所を聞き、その集落のはずれにある魚料理の店「あさしお」に入った。店内は思ったより広く、2時過ぎというのに結構お客がいる。しかもこんな僻地の店に。後で調べたところ、かなりの有名店で、昼間は1〜2時間待ちの行列ができるとか・・・。魚の煮付け定食をたのんだ。疲れていて、しっかり味を堪能できなかったのが残念だが、確かに煮付けはとろけるくらい柔らかに煮込まれていた。食事をいただいている間、マーティーのデジカメのバッテリーの充電を、こっそり壁のコンセントからさせて頂いた。すっかり満足して疲れも取れ出発。食べたあとは必ず“
Teeth Cleaning Ceremony”と言って、ガムの配給を受ける。集落から県道に戻りさらに北上。線路沿いの県道を歩く。恐ろしく長い直線道路で6〜7キロはありそうだ。しばらく歩いたところでマーティーが、海岸を歩こうと提案してきた。海岸は線路を渡ったすぐ横の林の向こうにある。藪のようなところから線路へ降りた。日豊線は単線とはいえ、本線なので、結構列車の往来がある。恐る恐る横断した。そして海岸に出た。日向灘だ。直線の海岸が果てしなく続いている。左右180°の水平線。遠くの海岸には、しぶきが海から白いもやのようになって、陸上に向かって流れている。砂浜を並んで歩いた。誰もいない。新雪に足あとを残すように、何キロも足あとを残して歩いた。途中海に流れ込む川に遭遇した。川といっても幅3メートル程度の小川。石がごろごろと顔を出していて。その上を飛び渡れば簡単に渡れそうな感じ。ところが、渡るとなるとかなり難しい。途中で身動きがとれなくなる。マーティーはカバンを向こう岸に投げ。身軽になって渡った。私もなんとか渡れた。「今日の冒険!」とマーティが日本語で言った。まさに小さいが冒険だった。すぐ横に流木で作られた橋があるのに、なんでわざわざ・・・。だんだんと、砂浜の幅が狭くなり、石だらけの海岸になってきたので、甘漬神社付近から県道に戻った。そこから約2キロで、今日の目的地、都農駅に到着した。予定の電車に間に合わず、一本遅い電車に乗った。

一ツ瀬川の夜明け
竹細工屋

畑に乾杯

川南港へ

川南漁港

川南駅通過

海岸を歩く

津農駅到着
2008年1月13日(日)
津農駅(児湯郡津農町)〜南日向駅(日向市) (約17キロ)

 朝9時半、津農駅出発。気温12〜13℃。晴れ。今日も気持ちいい。
県道302号線を北上。線路沿いに歩いていくと、線路に平行に走っている高架が見えてくる。かつてのリニアモーターカーの実験線。美々津から津農までの約7キロの高架線。1996年まで実際使われていたらしいが、今はただ永遠と続く高架だけが残っている。
畜産の香しい香りの中を4〜5キロ歩いて東津農駅に到着。マーティーのトイレタイム。マーティーは必ず駅に着くと「オテアライ」と言って用を足し。そして自販機でペットボトルのお茶を買う。これが、儀式のように必ず全ての駅で行われる。おかげで、全ての駅の写真をゆっくり撮ることができた。
東津農駅から左折し、県道366号を1キロ弱行くと国道10号に出る。ここからまた交通量の多い国道を歩く。今日の目的地は日向市だが、まだかなり距離がある。マーティーもかなり早歩きしてくれるが、相変わらずしゃべりも早歩きだ。美々津の町のちょっと手前に「御船出だんご」の看板を挙げた小さな店がポツンとある。中にチョコンと座ってこちらをみるおばさん。マーティーが寄って行きたいと言う。団子買うのか?いや、ここが団子屋とは分かってないはずなので、おばあさんと話したいだけとすぐに推測された。帰りの列車の時間が気になったが、ここまで結構強引に引っぱってきたので、いいかと思い中に入ってみた。売っているのは、一種類、あんこ色のもちのような形をしたもの。一個ずつ試食させてくれた。ちょっと硬いがストーブで暖めるとやわらかくなるらしい。小豆の団子だが、甘さも控えめでなかなか美味しい。マーティーはアメリカへ持って帰ると言って購入。私も購入した。帰ろうとすると、おばちゃんが、店の裏からの景色がすばらしので、是非見ていくよう誘う。団子工場の中を通って、裏庭へ。日向灘が一望できる。沖の岩礁にある美々津港灯台が見渡せる。なかなかのロケーション。マーティは「100万ドルの景色」だとご満悦。早速おばさんと記念撮影。そして、帰り際におばさんから、写真を送ってくれと頼まれた。ご主人が数年前に倒れて、今は車椅子の生活になり、何かと大変な生活の中、こうやってお客さんと話をするのが、何よりの楽しみだという。マーティにはとりあえず、「
Lonely Woman」だと説明した。店を出て美々津の古い町並みを目指した。マーティトイレタイムで例のごとく美々津駅に立ち寄り駅の観光案内の看板で古い町並みの場所の確認しそこへ向かった。この時点で、当初予定の日向市まで歩くことを諦め、少し観光して行くことにした。町並みに入ると、なかなか風情があっていい。国指定の重要伝統的建造物群保存地区とのことで江戸から明治にかけての建造物が多く残されている。また、ここは日本海軍発祥の地ということで、記念碑の前で記念撮影して。昼食タイムにした。古民家を改装した雑貨とカフェの店「民」というところに入った。1階は満席で2階のテーブルへ通された。2階は雑貨の中に1テーブルの貸切状態。おにぎりセットを頼む。マーティーはお土産に和風な布を購入していた。耳川を渡り、南日向駅を目指した。途中日向サンパーク温泉に入って行こうとマーティーが誘ったが、これはさすがに却下した。なにしろ、次の電車に乗り遅れると、今日帰りつけなくなるから。また歩き始めてしばらく行くとマーティーが立ち止まって土手の下を見ている。そこには、一本の夏甘の木。「あれは野生のみかんに違いないから食べようと言い出し、一個ちぎってきて、半分に割り二人道端でかぶりついた。なかなか美味しかった。一人で歩いているとこんなことは絶対やらないなーと抵抗しつつも、実は非常におもしろかった。
 南日向駅に到着。コミニュティセンター施設と駅舎を併用した建物になっているので、さっぱり駅がわかりずらかった。ほどなくして電車が来て。帰路についた。福岡から宮崎まで一人で歩いてきたが、今回、はじめて他人と歩いた。自分のペースで歩くことを良しとして単独で歩いてきたが、今回、他人と歩くことで、今まで、通り過ぎるだけだったものを見て感じて体験できた。本当に充実したいい旅になった。マーティーの時間は本当に優雅にゆっくり流れる。そんな時間を共有させてくれたマーティーに心から感謝した。彼も今回の旅を満喫してくれたようだ。アメリカに帰るが、次回また南日向から一緒に歩くことを約束している。


永遠に続くリニア実験線

「お船出だんご」さん

だんご屋のおばちゃん

美々津駅

美々津の保存地区

日本海軍発祥の地

道端のみかんの試食会

南日向到着
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